2016/07/01号掲載
笹川ひろしさん インタビュー
「会津の人はみんな、いい人ばかりだね」。
そうおっしゃった先生の言葉が今もずっと胸に残っています
手塚治虫先生と「会津漫画研究会」の繋がり
初めて出会った手塚作品は「平原太平記」。これまでの漫画とは全く違う映画的な表現に大きなショックを受け、本気で漫画を描き始めました。初めて先生宅に お邪魔した帰りがけに何枚かの原稿をいただき、「ここで漫画を描かないか」と誘われたことをきっかけに『会津漫画研究会』が発足、わたしは先生のアシスタ ント第1号に。研究会からは、あとふたりが続きました。
私たちの会津話に惹かれるものを感じたのか、先生は私たちと初の会津旅行へ。飯盛山で白虎隊ゆかりの洞窟やさざえ堂を見たり、七日町の漆器店で漆絵を体験 しつつ、東山温泉の宿で執筆を続けられました。その「スリル博士」には、研究会のメンバーやアテンド役の町内会長などがいきいきと登場しています。その後 も先生は『漫画集団』の方たちやご家族と幾度か会津を訪れています。それだけ先生にとっても会津は大切な地だったんだな、と思うと嬉しいですね。
笹川ひろし(ささがわ・ひろし)
漫画家、アニメーション監督、作家、タツノコプロ顧問。
1936年、福島県会津若松市に生まれる。1957年、手塚治虫のアシスタント第1号として彼に師事、虫プロのテレビアニメ「鉄腕アトム」の絵コンテ製作をきっかけにアニメの魅力に傾倒、吉田竜夫らが立ち 上げた竜の子プロダクションに演出家として参画する。日本のアニメ創成期から黄金期を担う立役者となった。